フットセラピーとは

フットセラピーは足躁術 (そくそうじゅつ) とも言いますが、

西洋のリフレクソロジー、

東洋のツボ療法と

運動生理学に

基ずく三つの療法をうまく組み合わせたものです。


とにかく気持ちがいいのが特長で、施術中に夢と現実の間をさまようような恍惚感を体験します。
フットセラピーの一番の狙いは、間脳への刺激です。


間脳は自律神経とホルモンの中枢で、
そこへ刺激を与えることで自然治癒力を高め、

自分の力で健康を維持しようというものです。

 

フットセラピーの効果

フットセラピーは続けることで確実に効果が現れます。
そして誰でも、いつでも、どこでも簡単におこなうことができます。
テレビを見ながら、待ち合わせの時間に、いろいろな場面で行うことができます。

 

特に、現代病といわれる ストレス、不眠、頭痛、自律神経失調、冷え性、

目の見えない疲れなどには最適です。

また糖尿病や認知症の方もぜひお試しください。

フットセラピーの創始者は 故 寒河江 徹 (さかえ とおる)です。

寒河江徹は七代続く医者の家系に生まれ、医者をめざして勉強中に大病を患い、

命が残り少ないと医者に告げられました。それから、必死に勉強を始めました。

ありとあらゆる東洋医学、導引術、武道、ヨガ、食養、中医学などを勉強、

研究した結果、総合的な健康法である円心五法を編み出しました。

そして施術の中心としては足が最も大切であるという考えに至り、

足躁術を編み出しました。

 

寒河江 徹の著書

 

『円心五法』

 

食、運動、精、精神、休息の五つの要素をひとうひとつ

丁寧に行うことで、健康ですばらしい人生を送ることができる。

 

= 幼年期、赤ちゃん

 

運動 = 少年期

 

= 青春期、活動、エネルギー

 

精神 = 壮年期、落ち着き、

 

休息 = 老年期、まとめ、次への準備

 

そして円心五法の中心には『呼吸』 があり、

呼吸をコントロールすることで全体がスムーズに動き、

循環していくという考え。

 

NPOフットセラピスト協会の核となる考えです。 

足躁術は、その後名前を現代風にフットセラピーと改めました。
寒河江徹は、このフットセラピーの普及のため日本全国をくまなく回りました。
その結果、北は北海道から南は沖縄までフットセラピーのファンは多くまた

セラピスト、トレーナーもたくさん活躍しています。
特に女性の活躍、高齢者の活躍が目立ちます。

 

フットセラピーの効果

 

フットセラピーの特長

 

とにかく気持がいい。施術をされるとなんとも言えない恍惚状態に

陥り、夢をみているような夢をみていないような不思議な気持ちになる。

この理屈抜きに気持ちがいいのが最大の特長です。

 

 

日本全国の仲間とファン

 

寒河江 徹先生は日本全国を巡った。来て欲しいと要望があれば、

日本中どこへでも駆けつけた。

寒河江 徹先生の施術を受けた人の中から体験が続出、

勉強したい人やファンが次々に生まれた。

現在では南は沖縄から北は北海道まで門下生とファンがたくさんいる。

 

 

私の体験 1

 

私がフットサレピーに初めて出会ったのは沖縄だった。

私のお世話になっていた沖縄のヨガの先生のところでフットセラピーの

勉強会があり、それに参加したのが初めてで、

とにかく気持ちがよかったのが印象に残っている。

 

私の体験 2

 

寒河江先生は奢ることなく誰にでも気さくに接してくれた。

私も一度だけ、寒河江先生の施術を受けたことがある。

その時私は体調を崩して悩んでいたときであったので、

少し痛かったが、終わった後はすっきりした覚えがある。

瞬時にその人の弱点を把握しポイントを施術される感じであった。

 

またその時以外にも寒河江先生に会う機会があったが、

先生は私にやさしく接してくれアドバイスもたくさんいただいた。

 

私の体験 3

 

その後、残念ながら寒河江 徹先生は亡くなられた。

病弱な体にムチ打って多くの人を救い、フットセラピーの普及に命を懸け、

全国を走り回られたのだ。

 

私の体験 4

 

私はフットセラピーの勉強がしたくなり、福岡市のフットサロンに飛び込んだ。

偶然にもその先生は寒河江 徹先生の門下生であった。

私は寒河江 徹先生になにも恩返しができていなかったので、

この偶然の出会いに感謝した。

以後、本格的にフットセラピーの勉強を始めました。

 

 

 

リフレクソロジーの歴史

 

【リフレクソロジーの歴史】

 

リフレクソロジーとは

 

リフレクソロジーはReflex Ology を足した造語です。

Reflex = 反射

Ology = 理論、療法

反射療法ということです。

 

【古代のリフレクソロジー】

 

 人類最古の足跡はアフリカのタンザニアで発見されました。

 今から320万年前です。

 

それから時代は進み、紀元前4000年~3000年ころには

エジプト、メソポタミア、インダス、黄河の四大文明が出現してきました。

その四大文明の時代にリフレクソロジーはすでに存在しました。

 

世界三大伝統医学のひとつ ユナニ 医学、また マヤ 文明などでも

 

紀元前 数千年前から足の施術は存在していました。

 

エジプト の サッカラ では医者の墓の壁画に足をさわって ケア をしている

姿がみられます。

中医学では黄帝内経の観趾法の中に足の ケア が載っています。

インド ではお釈迦様の足の裏を描いた仏足跡が残っています。

キリスト は最後の晩餐の時、弟子たちの足を洗い布で拭いたと言われています。

インカ 帝国 ペルーでは、足をもむ メイド の姿が見られます。

いずれにしても足は何らかの治療を施すところであったのでしょう。

 

【中世のリフレクソロジー】

 

伝承医学を受け継いできている地域では、

リフレクソロジーは当然行われていたのでしょうが、なかなか実態がつかめません。

わかり次第、記載させていただきます。

 

 20世紀のリフレクソロジー】

 

さらに時代は進み、20世紀になってから、

足の裏への治療を体系的に行うことが始まりました。

アメリカ の耳鼻咽喉科の医師 フィッツ・ジェラルド 博士

患者の痛みを和らげる方法を模索していました。

当時は麻酔の技術はまだ発達していなかったのです・

クロロホルム が麻酔に使われていました。

クロロホルム の量が少ないと痛みは強く、多いと意識不明になってしまったり、

死んでしまったりととんでもない状態が日常だったのです。

 

フィッツジェラルド 博士は患者の治療中の状態から、

痛みがある時は患者は、手や足に力を入れたり、握ったり

といった姿勢をすることから、

足や手と痛みが関係があるのではないかと推測しました。

指を輪 ゴム を巻いたり、指を クリップ で挟んだりして、

治療をし テスト を重ねました。

その後の研究で、体には関連のある場所があり、

10個の ゾーン に分類できることを突き止めました。

体を縦に輪切りにした10の ゾーン です。

フィッツ・ジェラルド 博士はともに足の研究を行った エドウィン・バーンズ 博士と共同で

1917年『 ゾーンセラピー 』という本を出版しました。

 

医師の ライリー 博士と奥さんの エリザベス 医師も フィッツ・ジェラルド 博士の講習を聞いて

この研究に参加しました。

そして ライリー 博士と奥さんの エリザベス 医師の助手をしていた、

理学療法師の ユナイス・イングハム 女史もこの足の研究に興味を持ち、

研究を重ね、『足は語る』という本を出版しました。

そして ユナイス・イングハム 女史は『足のチャート図』を創り上げました。

 

その ユナイス・イングハム 女史の研究に興味をもった3人の弟子によって、

リフレクソロジー の基礎が築かれ、世界中に広まっていきました。

イギリス の ドリーン・ベイリー 女史

スイス の ヘディ・マザフレ 女史

ドイツ の ハンネ・マルカート 女史

の3人です。

 

ドリーン・ベイリー 女史は イギリス で ベイリースクール を開きます。

ベイリースクール は英国式 リフレクソロジー へと発展していきます。

イギリス では看護師の 50%が リフレクソロジー の資格を持ち、

医療現場で、代替医療や予防医学として重宝されています。

 

ヘディ・マザフレ 女史は スイス で リフレクソロジ の スクール を開きます。

ジョセフ・オイゲスター 神父は ヘディ・マザフレ 女史の リフレクソロジースクール に通い、

 『未来のための健康法』という ヘディ・マザフレ 女史の本を読んで、

リフレクソロジー を実践し、悩んでいた膝の痛みを改善したのです。

その後 オイゲスター 神父は台湾に神父として派遣されました。

そして オイゲスター 神父は台湾でこの リフレクソロジー を広め発展させました。

オイゲスター 神父の台湾名を『呉 若石』ということから、

 『若石健康法』と呼ばれました。

 

 ハンネ・マルカート 女史は ドイツ で ユナイス・イングハム 女史の研究をさらに発展させ、

足の裏の三本の線を発見しました。

これにより リフレクソロジー の手技がかなりやりやすくなりました。

ハンネ・マルカート 女史はドイツで『足の反射療法』という本を出版し、

リフレクソロジー が代替医療、予防医学として ヨーロッパ や全世界に認められることに、

大いに貢献しました。

 

日本では、手足の末端を動かして難病を治療する自在療法をしていたのが

自在庵の伊藤五郎作です。

その伊藤五郎作のところで足の研究を深めた柴田和通

日本独自の

 

『足心道』

 

として足の療法開始。

昭和初期に柴田式足心道として日本全国に広めていきました。

 

日本での リフレクソロジー は 有謀が台湾の若石健康法を学び日本に広めました。

NPO日本 フットセラピスト 協会の寒河江 徹導引術、按摩、ヨガ、武術、リフレクソロジー、中医学

などを研究し、独自の フットセラピー を提唱しました。

 

日本全国に ファン と生徒ができ、寒河江 徹の息子の寒河江秀行と

一番弟子の本山硯士が活動を継続しています。

その後 キャビンアテンダント の藤田桂子が イギリス で英国式の リフレクソロジー を体験し、

リフレクソロジー の良さを感じた藤田桂子は リフレクソロジー を勉強しました。

藤田桂子の娘 藤田真規も リフレクソロジー を勉強し、

マキフジタ の リフレクソロジー として日本に広め、リフレクソロジー の一大 ブーム を巻き起こしました。